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【東北・宮城】伊達家の重臣 片倉小十郎景綱の城下町 白石を訪ねる 日帰りドライブ
ルート
全体
日程 :
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総走行距離 :
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総走行時間 :
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総所要時間 :
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総通行料金/総ETC料金 :
0円/0円
 
 
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観光情報
みどころ/会員特典
*片倉小十郎景綱と白石伊達政宗の幼少時代から、傅役(もりやく)として生涯を捧げた片倉小十郎 景綱。人取橋の合戦や摺上原(すりあげはら)の戦いなど、伊達家の決戦場で冷静な大局観から幾多の危機を救ってきました。その知将ぶりは「国家の大器」として秀吉や家康からも高い評価を得た伊達家随一の名参謀。数々の偉業を成し遂げ、慶長7年(1602年)に白石城を拝領、以降明治維新まで片倉家の居城となりました。 片倉小十郎(景綱)が拝領した当時の石高は1万3千石、最終的には1万8千石まで加増されました。 白石城のある宮城県白石市は「片倉小十郎のふるさと」。片倉小十郎の墓や神社があり、当時の歴史を知ることができます。*片倉家御廟所片倉家御廟所は、石畳を敷いた床面の上に、10体の大きな石像と1基の墓碑が花崗岩の玉垣に囲まれて佇んでいます。これは東北の陪臣の墓所としては全く他に見られないものといわれております。三代片倉小十郎景長は、片倉家代々の城主の墓所を、白石城の見える福岡蔵本の愛宕山麓に決め、傑山寺より初代景綱と二代重長の墓を、景綱の命日にあたる延宝八年(1680年)10月14日に改葬し、仙台の石工に阿弥陀如来座像を刻ませて墓標としました。景長も翌年病死し、以後十代までここに葬られました。