今話題の坂本龍馬・岩崎弥太郎ゆかりの地を訪ねるドライブコースです。【1】◆start◆六義園◆end◆(リクギエン)◆start◆六義園◆end◆(リクギエン)は、都心とは思えないほど緑豊かな自然が残る美しい庭園ですが、こちらは明治時代に◆start◆岩崎弥太郎◆end◆氏の所有となり、その後東京市に寄付され現在の一般公開となりました。(駐車場がありませんので近場の民間駐車場をご利用ください)【2】◆start◆神田明神◆end◆(カンダミョウジン)「明神さま」と呼ばれ親しまれている◆start◆神田明神◆end◆は、◆start◆岩崎弥太郎◆end◆が土佐藩士奥宮慥斎(おくみやぞうさい)の従者として、江戸へ遊学した際、知鏡院(島津斉彬の妹・土佐藩主山内豊熙の未亡人)の病気平穏を祈るために土佐藩主山内豊信の奥方、正子から頼まれ、奥宮慥斎らと共に代参に行った神社です。【3】◆start◆ニコライ堂◆end◆(ニコライドウ)御茶ノ水のシンボル・◆start◆ニコライ堂◆end◆は、◆start◆坂本龍馬◆end◆と親しい澤辺琢磨(龍馬 の父と琢磨の祖父が兄弟) がある時酒に酔い、金時計の盗難事件を起こしてしまいます。琢磨は切腹を言い渡されますが、龍馬は、武市瑞山と事件を収束させ、琢磨を逃亡させました。その後、函館に逃れた琢磨は、ロシアの聖ニコライと出会い、日本人初の正教会の洗礼を受け、晩年はニコライ堂建立にも尽力しました。【4】◆start◆「学習院(華族学校)開校の地」◆end◆[ガクシュウイン(ハナゾクガッコウ)カイコウノチ]神田錦町郵便局前にある石碑◆start◆「学習院(華族学校)開校の地」◆end◆は、京都御所の日御門前に公家の学習所として開講された学習院が、明治10年(1877)華族学校「学習院」としてこの地に創立された遺跡碑です。こちらは、◆start◆坂本龍馬◆end◆が剣術修行で寄宿していた『千葉定吉道場』定吉の娘“佐那子”が、坂本龍馬の没後、学習院女子部舎監として奉職しておりました。【5】◆start◆渋沢栄一像◆end◆(シブサワエイイチゾウ)◆start◆渋沢栄一◆end◆は、日本史上を代表する経済人として多種多様な企業の設立に関わり、◆start◆岩崎弥太郎◆end◆が◆start◆渋沢栄一◆end◆に出資するなど協力的な関係を築いてました。またかつて◆start◆坂本龍馬◆end◆が通った千葉周作道場の後継者、宗次郎の道場で剣術も習いました。【6】◆start◆三菱一号館◆end◆(ミツビシイチゴウカン)◆start◆岩崎弥太郎◆end◆没後、跡を継いだ弟の◆start◆彌之助◆end◆は、陸軍練兵場だった丸の内大半を買い上げ、明治27年◆start◆三菱一号館◆end◆が完成しました。昨年9月に「三菱一号館」は復元され、今年の4月より「三菱一号館美術館」として新たなスタートを切ります。【7】◆start◆台場公園◆end◆(ダイバコウエン)今や都心の人気観光スポットとなっているお台場の◆start◆台場公園◆end◆ですが、実はかつてペリー来航に備えた砲台があった場所です。石垣に囲まれた園内にはかつての面影を残す陣屋、弾薬庫跡などがあります。また夜になると都心の夜景を楽しむカップルのホットなデートスポットとなっております。■【写真提供/参考文献】協力:千代田観光協会/(財)東京都公園協会