中将姫誕生とされている地(奈良市内)から、継母に捨てられたとされる宇陀の青蓮寺と、剃髪し得度したとされる葛城市の當麻寺を訪問するコースです。中将姫は聖武天皇の天平19年(747年)藤原豊成と紫の前との間に生まれました。5歳の時に母が死亡し7歳の時に父が後妻を迎えたことにより運命が変わります。孝謙女帝から中将姫は三位中将の位を賜ったことから、後妻は中将姫に嫉妬し憎むようになり、家臣に殺すように命じましたが、家臣は心優しい中将姫を殺すことができずに、菟田野の雲雀山青蓮寺へ連れて行き、隠れ住まわせました(一説には継母によって捨てられたともいいます)。父・豊成が偶然にも宇陀に狩りに来ていた際に青蓮寺にて再開し、都に戻されたとされ、その後13歳のときは中将の内侍となり中将姫と呼ばれるようになりました。さらには16歳の時は后妃の勅を賜わりましたが、17歳の時には出家を決意し、中将姫が向かった寺こそ霊峰二上山山麓の「當麻寺」でした。當麻寺で得度されて、29歳で亡くなりました。中将姫が得度・剃髪され、一夜にして「當麻曼陀羅」を織り上げたという伝説の残る「當麻寺」。その門前にある「釜めし 玉や」では、炊き立ての釜めしをご賞味いただけます。當麻寺で参拝を終える時刻を事前に伝えておくと、炊き上げたての釜めしを、すぐにお召し上がりいただけます。スピードや対向車に注意し、くれぐれも安全運転でお楽しみください。