“明治維新” 時が新しい時代へと向かい始めようとしていたころ、西南戦争が起こります。西南戦争は、明治10年(1877)、西郷隆盛の率いる鹿児島士族が起こした我が国最大の内乱で、明治維新の総仕上げとしての役割を果たした戦争です。熊本市街地にある位置する「熊本城」・「熊本市現代美術館」・「水前寺成趣園」と見所が沢山あり、中でも熊本城は熊本シンボル的存在です。2016(平成28)年4月14日と16日と2回連続して襲った熊本地震により被災し、熊本市民のシンボルとして市民の心の支えとなりました。【熊本城最大の熊本本丸御殿(くまもとじょうほんまるごてん)は畳数1570畳、部屋数53もある建物群でした。その中でもひときわ大きい建物が本丸御殿大広間(ほんまるごてんおおひろま)で、ここは藩主の居間として使われたり、部下と対面する場所でもあったといわれます。】また、熊本にはもう一つ西南の役にまつわるものがあります。熊本洋学校教師館=ジェーンズ邸は日本赤十字発祥の地としても有名です。その歴史は、西南戦争の負傷者を敵味方の区別なく救護することから始まりました。※熊本地震により全壊してしまい、現在復旧に向けた工事を行っています。近隣にある「水前寺成趣園」は、華やかな元禄時代には東屋も沢山あり、成趣園十景を選んで楽しまれました。重賢公の代、宝暦の改革で建物は酔月亭一つを残して撤去され、樹木も松だけの質素なものとなっています。「越すに越されぬ田原坂」と歌にもうたわれた田原坂は、いまも激戦の凄まじさを後世に伝えています。